福海観音菩薩 |
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福海観音菩薩 様は 本町十四番町のゆるい坂の上、入船地蔵尊裏手の 小さなお堂に祀られていた観音様です。 江戸時代、日和浜沖にて上半身、信濃川で下半身がそれぞれ 引き揚げられたそうで、別れていた御身体は一つにされ、 新潟市四ツ屋町のお堂にて祀られていましたが、 平成十年に東蒲原郡津川町に移られました。 . |
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なじらメモ | ||
まだ肌寒い冬のある日 子供の頃、親父に連れられて日和山の展望台に行った時 四ツ屋町のお堂の前を通った時、親父から中観音様のいわれを聞いたのを 思い出したもんで。久しぶりに訪ねてねてみようと思い、 記憶を頼りに四ツ屋町に行ってみると、 観音様の御姿は消えていたのでした。 福海観音様のお堂があった場所 新潟市四ツ屋町 近所のオジサンに尋ねてみると、平成元年に津川のお寺に移られたとの事でした。 詳しい場所は判らなかったのですけれど、 移転先は東蒲原郡津川町の新善光寺さんという所まで調べ、 新緑まぶしい五月のある日津川町に行ってみたのでした。 . |
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↓ 新潟市から磐越自動車道に乗り 福島に向かう事、約20分 普通なら津川インターで降りるのだけれど、 新緑がまぶしい阿賀野川沿いのドライブも 気持ち良さそうだったので、 二つ手前の安田インターで降りてみる事に。 天気は薄曇りでしたが川面に映る 緑を眺めながらの国道49号線は 気持ちが良かったです。 特徴のある麒麟山を眺めながら 阿賀野川に架かる赤い鉄橋 「きりん橋」を渡り、 トンネルの手前を左折すると、 毎年五月に狐の嫁入りが行なわれる 津川の町に到着! 右上へ → つづく |
車を降りてチョット歩いてみると、 雁木が並ぶ街並みはとても魅力的で 何だかウキウキ!町自体は小さいけれど、 なかなか元気のある町みたいです。 狐の嫁入り館(↑↓無料)を見学した後、 近くを歩いていたおばちゃんに 新善光寺の事を尋ねてみると、 すぐ側にあるとの事でした。 おおっ!こいつはラッキーっす! 早速、山門のあるお寺にお邪魔してみると、 境内にログハウス風の立派な お堂が建っているではありませんか! 何故か足早になる私、 何だかドキドキ、、、 . |
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津川町にある新善光寺さん 福海観音様はこちらに! |
奥が新善光寺本堂、右側の立派なお堂に 観音様がいらっしゃいます。 |
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早速、中にお邪魔してみると、 いらっしゃいました観音様が〜 ううう!感動?の十二年(くらい)ぶりの 御対面なのでした! 堂守のおばちゃんとしばし話をした後、 観音様の背中を拝見させてもらう。 良く出来たもので、お堂の後ろには 小さな窓が付けられ、差し込む光の先には 津川、新善光寺、云々といった文字が 刻まれているのでした。 この字のおかげで、このお方は 296年目にして、目的地にたどり着けたのか。 なぁ〜んて思うとチョット感動。 それにしても、津川での観音様は お堂もそうですが、地元の方々に とっても大切にされている様で 嬉しかったです。 . |
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そのせいでしょうか、帰り際、観音様のお顔を もう一度拝見してみると、 何だかニッコリしている様に 見えたのでした。よかったね!観音様! メデタシ、メデタシ おしまい 皆さんも津川町に行かれる事があったら、 一度、寄ってみてくんなせて〜 . |
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なじらねっと 参考資料 「佛光山 新善光寺 福海観世音菩薩縁起」 「町指定文化財 平成十年五月二十七日指定 福海観音菩薩」より . |
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- 資料参照 その1 - 佛光山 新善光寺 福海観世音菩薩縁起 より 新善光寺出身の品誉上人が、越前国(福井県)三国の、 西光寺の住職につかれ、十一年間おつとめになられたのち事情もあって、 津川新善光寺の住職に戻られた。この上人の西光寺における弟子の二人が、 遠い津川に移られた師匠の身を案じ、観音様に御加護の一念を託して 元禄二年(1693)に彫像されたものであり、 海路、三国港から新善光寺に向かっての途中、 新潟沖で遭難されたものと思われる。 その後いつの頃かは定かでないが、新潟の川上某なる漁師が、 この観音像の上半身を日和山沖で網によって引き揚げ、 その後さらに下半身を信濃川から引き揚げた。 この巡り合わせは将に奇縁という外なく、漁師はこの観音像を上下御一体となして、 日和山下の浜辺に安置したと伝えられている。 そののち、新潟の浅井家初代惣三郎が、代官の許しを得て、 市内の薬王寺裏に堂を建て、この観音像と併せて三十三観音をも祀った。 ↓ 数年後の文久二年(1862)堂内に地蔵尊をも祀った。 明治十二年に至り、お堂の環境が変わったので、 浅井家では再び堂を四ツ屋町に建て、祀られていた佛像を凡て、お遷しした。 このように今日まで百数十年に亘り 観音像を代々守り続けて来られた浅井家の現当主道之助氏は、 亡母の遺志に従い観音像を津川の地にお送りすることを決意し、 平成元年、この四間四方の御堂を建立し新潟のお堂に祀られてあった 観音像をはじめ佛像の全部をおお遷しした。 また堂内の整備についても、 今後の維持管理のことまで考えに入れて諸般の設備を整えた。 このようにして建立のなった観音堂の一切は、平成二年五月廿八日、 浅井道之助氏から新善光寺に寄進された。 元禄六年(1693)に福井県三国港を出立された福海観音菩薩は、 平成元年(1989)に、即ち二百九十六年目に、 目的の地、津川の親善光寺に到着されたのである。 佛光山 新善光寺 - 資料参照 その2 - 町指定文化財 平成十年五月二十七日指定 福海観音菩薩 より 新善光寺住職の学冏上人が遷化され、 遺命により福井県三国町西光寺の品誉上人が迎えられました。 弟子二人が上人の息災を祈り観音像を送りましたが、 新潟沖で船は難破し石像は沈みました。 暫して漁師が上半身と下半身を別々の所で網で上げ、 上下を一体にして海浜に祀りました。 その後、浅井家がお堂を建て祀ってきましたが 石像の目的地である新善光寺へ寄進されました。 元禄六年(1693)の出立から二百九十六年目の 平成元年に到着したことになりました。 平成十年 津川町教育委員会 . |
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所在地 | 新潟市四ツ屋町一丁目 から↓ 新潟県東蒲原郡津川町 新善光寺へ 296年かかって、ようやく到着! |
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Mapion(地図)→ | 新潟市四ツ屋町一丁目 昔、お堂があった場所 ↑ ↓ 東蒲原郡津川町 目的地、新善光寺 . |
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関連リンク | ||
狐の嫁入り | 新潟県東蒲原郡 津川町役場のページです。 | |
鹿瀬町ホームページ | 新潟県東蒲原郡
鹿瀬町の公式ページです。 鹿瀬町って結構、好きなんですよね〜。 新緑の時期なんか最高です。 |