願随寺


本堂、獅子口の鬼瓦がステキ!
 なじらメモ 

新潟市の歴史書、特に下町の事が書かれている箇所
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文政13年打ちこわしでは、願随寺の鐘が打ち鳴らされ、ときの声が上がった)
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天保年間、州崎番所に作られた台場の武器庫が願随時裏に築かれた)
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慶応3年イギリス軍艦サーペント号艦長と幕府の役人との会談の場として使われた)
等々、度々登場するお寺です。
最近、建て直された本堂の白木が目に染みるのでした。鬼瓦もかっこいいっす!
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所在地 新潟市元祝町四八二八番地
Mapion(地図)→

願随時

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なじらねっと

参考資料 「新潟県寺院名鑑(新潟県仏教会)」より。
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名 称
有明山 北園院 願随寺
宗派 開祖
真宗仏光寺派 不祥
御本尊 寺宝
阿弥陀如来 親鸞聖人等身大御木像
由緒沿革
 長岡領北村(喜多村とも書く)に在り、真宗大谷派に属す。
享保十八年(1733)新潟への寺地替えを藩主牧野公に願い出、
畑地二百歩に対し新潟において八百七十五歩。
また九年後の寛保元年(1741)八月七日北村の畑地二反四歩に対して
三千九百八十歩を賜り
新潟へ移る
明和六年(1769)
真宗佛光寺派に転派、本山仏光寺掛所となる。
安永年間(1772〜81)、本山仏光寺使者稲田求馬が来越、
新州崎町に更に寺地一万九千歩の寄付を長岡藩主に請願し、同八年二月本仏光寺掛所、
新潟願随寺境内添え地として、永代貸し付けの許可があった。
これより天保年間(1830〜44)まで本山差し向け輪番、交代にて寺務を行う。
その当時の規模「
寺院の四方、江渠築地を廻らし、四門を構え、四橋を架し、
正面伽藍の東に庫裡、西に集会場か構え、対面所、土蔵等、各棟を異にして、、、
整然たる偉観をなせり
」とあり。
その後天保年中、河合鳳専が住職を命ぜられてより、以後世襲となり現在に至る。
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