去りゆく物、残された者3 . |
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他門川住宅 解体 . |
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万代橋下流橋の工事も進み、変化の激しいこの周辺なんですけれど、平成12年春、秣(まぐさ)川岸町通に並んだ他門川住宅(ビル)が、ついに解体されました。 私自身、このビルについて、あまり思い出は無いのですけれど、見慣れた風景が大きく変わるのには、チョット寂しさも感じたりして。 |
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見慣れた風景でしたが 平成12年取り壊しに、、、 |
他門川住宅 と 同アーケード すっかり無くなっちまいました↑ |
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そもそも他門川住宅の、他門 (たもん)って何なんでしょ? 新潟市発行「新潟市史 通史編1〜5」によると、、こんな感じらしい。 長岡城主の堀直寄による元和(1615〜)の町建てや、その後に長岡藩主になった牧野忠成の支配により古新潟町と呼ばれる地域が整備される事になったそうです。 明暦元年(1655)の寄居、白山島への新潟町の移転により町はさらに発展し、本町通(古町通)、片原通(東堀通)、新町通(本町通)の三筋を中心に片原川(後の東堀)、寺町川(後の西堀)等の 川や 堀が 掘られたりと、現在の新潟の形がこの時期に作られた模様ですね。 ちなみに現在西堀沿いに寺院が並ぶ寺町も、古新潟時代から形成されはじめ、この頃までに開基、転入が済んでいたそうだ。フムフム。 明暦年間、西回り海運が発展したお陰で新潟の湊も繁栄し、 本町通に並ぶ商店は、表店(おもてだな)等と呼ばれ、町も賑わっていたそうです。 その後、寛文年間(1661〜73)頃には信濃川沿いの大川前が発展し始めたそうで、 元禄時代(1688〜)には 信濃川に面した材木河岸通り( 後→ 大川前通 → 現在→ 上大川前通 ) に並ぶ商店は、他門店(たもんだな)と呼ばれ、本町通の表店(おもてだな)と 肩を並べる程、賑わっていたそうです。 お待たせしました!他門(たもん)という名の登場です。 時は流れて、地形も変わり、江戸末期頃には河口に出来た州、毘沙門島 (現毘沙門町周辺)や熊谷小路(現横七番町通)周辺にも人が住む様になったそうで、 明治2年(1869)運上所 (新潟税関、現新潟市郷土資料館) が出来たり、 明治5年(1872)楠本正隆が新潟県令になった事で、新潟の町は新たに整備され始めたそうです。 この頃までに信濃川の中州は広がり、他門川は流れ、秣島の宅地化、礎町通、下大川前通が作られたり、雪町、月町、花町が命名されたりしたそうですし、これらの周辺に建てる家は土蔵造り、瓦葺き、雁木の形まで条件が付けられ、統一された住宅地として開発されたそうです。 その後、明治二26年頃から横七番町北側に遊廓が移って来たり明治38年(1905)新潟鉄工入舟工場が出来たりと、明治末から大正期にかけて、現在の下町(しもまち)の先端部にも、人々が住むようになり始めたそうなんですよね。う〜む。 話は他門に戻りますが、明治30年代から大正期の近所の西厩島町付近、金比羅通には、遊戯場が立ち並び「夜市」が開かれたりして大変賑わったそうです。新潟の娯楽の中心だったとか、、、しかし昭和10年代、他の夜市(古町通、学校町通等)が規制されるのに伴って制限され、しだいに活気を失ってしまったそうなんですよね。 第二次世界大戦後の昭和21年、他門川沿いの上大川前通5番町6番町には、引揚者や戦災者で組織された鏡橋マーケットが開業され、また住宅としても供されたそうです(鏡橋マーケット住宅)。 |
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柾谷小路より秣川岸通り方面を見る |
ここに鏡橋ありき 花町 |
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その後、昭和30年(1955)の新潟大火の後、火災復興土地区画整理事業により、市内の掘は次々と埋め立てられたそうです。 西堀は昭和36年、38年には他門川(現秣川岸通)が、そして昭和39年の新潟国体開催時迄に、市内の堀や川の埋め立てはぼ完了したそうです。 その後も市街地の再開発は進み、昭和47年、新津屋小路から並木町まで並んでいた他門川商店街は撤去され、一部は道路に、残りは共同住宅(ビル)と、なったのだそうです。 これが他門川住宅(ビル)てな訳なんですね。 |
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これが↑ |
→こんな風になりました。 |
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平成12年、今回取り壊されたのが、その時建てられたモノらしいのですが、通りはスッキリと広くなってしまいました。 今後、万代橋下流橋が完成する事により、下町(しもまち)に入る交通の便は良くなるかも知れませんが、周囲の変化も激しいものになりそうですね。 |
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他門川住宅 町名では、秣川岸町通っす。 |
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その他、他門周辺の見どころは↓こちらで!どうぞ。 | ||
新潟市(下町)しもまち案内板 新潟市下町案内板 . |
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新潟市郷土資料館 湊町通り周辺の街並み 豊照稲荷神社 . |
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毘沙門堂 第四銀行住吉町支店 こんぴら通り商店街 金刀比羅神社(奉納模型和船) . |
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礎公園 大円寺 大円寺公園(報時塔跡) . |
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新潟絵屋 .にいがた えや そんな中、他門町のすぐお隣町、並木町に文化発信の場が登場! 以下、新潟絵屋 設準備会 発行冊子より参照 「新潟絵屋」は「見る人」の立場で 企画展開催をサポートする公空間として構想されました。 企画展の特徴は、批評的な第三者の視点が介在することで 作品の質、情報、頒布価格などによりよい内容が期待できる点にあります。 作品は頒布を前提とし、訪れた人が気軽に購入できる程度の 手頃な価格を設定します。 魅力的な作家を紹介して見る人が多くの作品に接する機会を提供し、 感動や共感を持った作品を生活の場に飾って楽しんでもらう。 「新潟絵屋」はそんな出会いの場を目指しています。 . |
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只今設立準備中! |
2000年6月16日OPEN予定 |
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う〜む、下町(しもまち)に文化発信の拠点が出来ると言うのは 嬉しいもんですねぇ。 興味のある方はこちらへ↓問い合わせてみて下さいね。
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てな訳で、開廊しました 2000年6月 ↓ |
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