去りゆく物 残された者5
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ふくすけ食堂
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新潟は「水の都」「柳都」なぁ〜んて言葉をよく聞くが
新潟地震の後に生まれている私にとって
堀や川が網の目の様に流れていた頃の新潟ってのは
残念ながら、文献や、写真、
人伝に聞いた話、道路脇に残る柳並木、
海や川にまつわる近所の神社や寺院の存在から
想像するしかないのが現状であります。ウムム

水のあった跡(歴史)を知り、美しかった頃の
新潟を想像してみる、、、、
それはそれで結構楽しいのですけれど、
やっぱり実際に水にふれあって
実感してもみたいのも本音でもありました。

そんな中、知人の釣り船に乗せてもらう機会がありまして、
水辺から見る新潟が体験出来たので、
ちょっぴり紹介してみようと思います。
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県庁裏の信濃川岸壁から信濃川河口の新潟西港



しかし西堀や東堀、他門川に艀川、現在それらが
残っていたら、今の新潟島はどんなだったんでしょうねぇ。

亡き父から聞いた話を思い出してみても
堀に浮かんでいたウンコ船(肥やし船)の上で遊んでいたら
板が抜けて肥え桶の中に落っこちたとか、
十四番町の帰りに(←おいおい)堀でオシッコした話等々、
あんまり綺麗だった頃の話は聞けなかったのが
残念ではありました。



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