湊 稲 荷 神 社 (道楽稲荷さま) |
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なじらメモ | ||
新潟市有形民族文化財(第1号)にも指定された回る高麗犬のある神社で、 道楽稲荷とも呼ばれています。古くから海運業者や漁業者、 本町十四番町にあった新潟遊郭で働く女性達の信仰を集めた神社でもあります。 信濃川河口、新潟西港の旧税関(新潟市郷土資料館)にも近いです。 . |
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桜の季節キレイです! |
願 掛 け 高 麗 犬 新潟市有形民族文化財(第一号) 回る〜回る〜よ (手動) |
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なじらねっと 参考資料 「湊稲荷神社冊子「願掛け高麗犬」」より . |
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湊稲荷神社 (湊稲荷五社大明神) 祭神 倉稲魂神(宇迦之御魂神)を主祭神とし、 大己貴神、大宮能売神、保食神、太田神の四柱を合祀する。 享保元年(1716)前川三城が神託により出羽国米沢より現在の地に遷座し建立した。 新潟沖を通る船は湊稲荷神社の森を目的に航路を進め、 入港しては海上安全、船運長久を祈願する神社として、 海運業者、漁業者の信仰を集めたといわれる。 . 高麗犬像 現在の三代目高麗犬は平成七年四月十六日に、 二代目高麗犬にかわり安置されたものです。 初代の高麗犬は願いがかなわなかったということから、 神社の前にあった川堀に投げ込まれてしまい見つからなかったそうです。 二代目の高麗犬はその後(寛永七年)作り替えられたものですが、 長い歳月風雨にさらされたのと願掛けの回転の為損傷が激しかったため、 現在はケースに納められ拝殿に安置されています。 願掛けの風習 和船の出入りで新潟港がにぎわっていたころ、港に入る船の船乗りは 花柳界に遊び、その夜、遊女に送られて船に帰るのが新潟の風俗であった。 遊女たちは、毎夜船乗りが遊びに来てくれることを願い、 なによりも港に入っている船が出帆し、船乗りが行ってしまうことを恐れた。 船の出帆を押さえ、新潟の港に船止めするには西風に吹いてもらいたい。 遊女たちのこんな願望が湊稲荷の高麗犬に願を懸ける風俗をうんだ。 遊女たちは、夜中、ひそかに油揚げを持って、湊稲荷神社に行き、 社頭の高麗犬の頭を西の方に向け、西風が吹いて港口が荒れ、 海がしけて船が出帆できず、船乗りが夜ふたたび遊びに来てくれることを祈った。 この風俗が、いつから行なわれるようになったかは不明であるが 天保十四年(1843)の新潟市中風俗書によれば、 熊谷小路 是者新地与唱住居者漁師共勝ニ御座候間々ニ 小宿附船等渡世之者有之時々廻船之水主共上陸仕 売女共呼寄酒喰仕候儀も御座候。とあり、 湊稲荷神社に程近い熊谷小路(現、横七番町下記リンク参照)の遊女たちが、 この習俗を持っていたであろうことは推測できる。
また、古くから、下の新地の道楽稲荷おれも二三度だまされた と 俗謡にうたわれている道楽稲荷という通称の起こりも、 この遊女たちの願掛けの習俗からきていることは明らかである。 (以上は昭和五十四年度新潟市文化財審査資料より抜粋したもの)です。 {神社注} 江戸時代に歌われた新潟甚句の歌詞の一節にこの歌があり、 石碑↓にきざまれ、拝殿右にたてられている。 なお歌詞の中の「だまされた」とは往古神社の洞穴に棲息した狐と、 遊女の仇情にほだされ二度三度と通った船乗りたちの自嘲の念との 双方がかけられているのであろう。 {神社注} 当社「願掛け高麗犬」は往古より遊女の祈願は勿論のこと、 さまざまな願いをかけて、信者の方々が回してきた高麗犬であります。 伝承によれば男の方は右の高麗犬、女の人は左の高麗犬を、 願意(ねがいごと)を心にねんじながら回し、諸願成就を祈願したといわれております。 資料参照 湊稲荷神社冊子「願掛け高麗犬」より . |
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なじらメモ | ||
先日、この石碑↑を見てみると、 橋架翁とあった。橋架翁??? 何でも初代萬代橋を架けた 八木朋直さんの筆であるらしい。 拝殿奥は朱色の建物となっており→ 両脇には何だか古そうな こまいぬさんとお稲荷さんがひっそりと 佇んでいられた。 これも要チエックっす! . |
うわっ!まっ赤っか |
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所在地 | 新潟市稲荷町3482 | |
アクセス | JR新潟駅から16番系統 入船町行きバス「郷土資料館」 下車、徒歩10分くらい |
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Mapion(地図)→ | 湊稲荷神社 . |
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湊稲荷神社 関 連 リ ン ク . |
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新潟市郷土資料館 (運上所、旧新潟税関) |
1868年、安政の条約により開港した五港の 一つ、新潟港の運上所(旧新潟税関)で、建物は 国の重要文化財にも指定されています。 現在は郷土資料館となっています。 |
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浅草観音堂 | 湊稲荷神社のすぐ近くにあるお堂です。 東京の浅草寺が明治元年に開港した五港の 安全を祈願する為、作ることになった 分院の一つなんだそうです。 |
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本町十四番町 | 以前は全国で五本の指に入るほど有名だった 「新潟遊廓」があった場所です。 |