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発見!新潟島 西堀通り寺めぐり 予備知識 | |
寺町と新潟明和騒動 |
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歴 史 探 訪 「明和義人顕彰之碑」 白山公園内 ※寺町と新潟明和騒動※ 「新潟明和騒動」とは明和5年(1768年)長岡藩領であった 新潟で起きた事件である。 不景気と米価高騰で民衆が苦しむ中、 長岡藩より新潟の町に御用金がかけられ、 その納入の延期等を求める嘆願書を 出そうとした涌井藤四郎が捕縛された事から 怒った民衆が蜂起して打ち壊し等が起こった。 . |
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前寺 西祐寺のあった 本 浄 寺 |
本 浄 寺 新潟の寺町、西堀通りの始まり 一番町にあるお寺。 ※1768年に起きた 「新潟明和騒動」の発端となった 御用金納入延期を求める嘆願書を 出す為の会議が行われた 前寺西祐寺が あったところです。 |
打ち壊しの勢いは 奉行所(現在のNEXT21・三越の場所)や 町会所(現在の第四銀行本店の場所)にまでおよび 役人達を逃亡させるものとなり、 残された新潟の町は釈放された藤四郎を代表とする民衆に よって約一ヶ月半の間、自治が行われたという。 . |
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新潟市発行 新潟市史<通史編2>近世下 P119より 明和騒動の打ち壊しの移動図 図の上の矢印が下町(しもまち)からの 打ち壊しの移動図 中央が奉行所(NEXT21・三越の地) と町会所(第四銀行本店の地) . |
新潟市発行 新潟市史<通史編2>近世下 P126より 涌井藤四郎・岩船屋佐次兵衛の 市中引き回しの図 牢屋は鍛冶小路 (現笹川餅屋さんの地) 獄門は 学校町の題目庵 (現題目寺) . |
明和7年(1768年)長岡城に出頭して捕らえられた (8月25日)涌井藤四郎と岩船屋佐次兵衛は 処刑(現在の鍛冶小路と西堀との交差点、笹川餅屋の地にて) され、その首は獄門(現在の学校町・題目寺)に かけられるのであった。 . |
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西堀と鍛冶小路の交わるところ 笹川餅屋さんの所が牢屋だった |
現在の学校町 題目寺 ここに獄門があった |
現在、新潟市学校町の題目寺(旧題目庵)に残る 涌井藤四郎を慰霊するといわれる塔 . |
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後の世、彼等は「義人」とされ白山神社や西堀の寺院に 顕彰碑やお墓等が建てられる事に なったのである。 . |
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岩船屋佐次衛の墓 子孫が建てたお墓だそうです。 宝 亀 院 . |
新潟明和騒動の 涌井藤四郎と岩船屋佐次衛の墓 明治21年に旭座劇場で行われた 追善興行の収益金で 建立されたものだそうです 長 照 寺 . |
新潟明和騒動の涌井藤四郎を 慰霊するともいわれる 「二十六夜塚」 真 城 院 . |
「明和義人顕彰之碑」 白山公園 |
その昔、新潟にこんな事件があったという事 を知ったとき、それだけでもビックリなのですけれど、 騒動の首謀者として処刑された 涌井藤四郎という人物と岩船屋佐次兵衛という方々に ゆかりのある場所やお墓、碑等が西堀の寺町や その周辺に点在する事、打ち壊しに参加したという 下町(しもまち)や上町の人々の存在は 物語としても、とても興味深いものがあります。 実は2000年の夏、騒動の関連地を 歩いてみたのですけれど、普段歩いている新潟島の 通りに残る物語の数々を辿ってみるもの これ又楽しいものでした。 機会や興味がある方は 是非「新潟の寺町」を歩いてみてくんなせて。 野内隆裕@t-nouchi . |
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