発見!新潟島 西堀通り寺めぐり
新潟市 西堀通四番町823

善 導 寺

真光山 光明院 善導寺
<なじらメモ>

本堂の上に
露盤宝珠がのっているお寺

松尾芭蕉が「奥の細道」の道中、蓑を着替えたという
みの塚」の碑がある

本堂前「蓑塚」の脇にある「
筆地蔵」さんの
表情がいいですねぇ。

宝珠のある本堂は「
善導寺型」といわれる形式なんだそうです。

※画家五十嵐浚明の墓
※書家巻菱湖の師興雲は十八世住職
※興雲の筆塚
.

屋根の上、露盤宝珠と申します。

整った方形屋根が美しい本堂です。

本堂正面

昔は参道があったが新潟大火で
風景は一変したのだそうだ。

画家五十嵐浚明のお墓
善導寺


書家巻菱湖の師
善導寺十八世興雲住職の筆塚


松尾芭蕉が「奥の細道」の道中
蓑を着替えたという「みの塚」の碑
善導寺

本堂前「蓑塚」の脇の
「筆地蔵さん」笑顔がいいね〜

お寺の概要

<新潟県寺院名鑑(新潟県仏教会)>より。
.
宗派 開山 開基
浄土宗 大蓮社光廣誉岌讚上人
天文三年六月十五日
御本尊 寺宝
阿弥陀如来脇侍二尊 興福寺三十三観音菩薩像 阿陀三尊仏像(慈堂太師作) 聖徳大師立像 聖観音菩薩立像(江戸期)
由緒沿革
 当山は知恩院末寺にして、開山岌讚は和泉国の出身、知恩院二世空禅和尚を師とし、相州光明寺遊学し宗派を継ぎ、天文三年(1534)御奈良天皇に召され観経仏身観の宗要を説いて叡感斜ならず、真光山の勅額、側に殺生禁断の宸筆、更に青蓮院尊鎮法親王御自筆光明遍照と讚した幅物、恵心僧都筆の山越の弥陀絵像を賜り、これを奉持して越後へ下ったという。 当寺は新津善道にあったが、後新潟町が整備されるに及び現在地に移り、奉勅寺として町の尊崇を受けた。 元禄時代芭蕉北陸回遊のおり立寄られたという蓑塚があり、寛政年間十八世住職興雲は能筆で著名であり、弟子に書家巻菱湖、画家鉄龍がいる。明治初年頃に伽藍中空に聳え、入港の船はこれを目印にしたという。境内には大池あり弁財天を祀り附近の花柳界の帰依を集め香煙終日絶えなかったという。特に施餓鬼行事には群衆で賑わい種々の奇瑞が伝えられている。 現本堂庫裡は昭和三十三年建立になるものである。


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