発見!新潟島 西堀通り寺めぐり
新潟市 西堀通二番町783

超 願 寺

富澤山 超願寺
<なじらメモ>

近年建て直された本堂が美しいお寺です。

獅子口の鬼瓦もピッカピカ!
留蓋(とめぶた)の上の牡丹がカッコいいっ!
本瓦葺きの屋根!軒丸瓦一枚一枚には「超願寺」の文字がある。

昔、
鏡池という池とその脇に小学校(現鏡淵小学校)が
あったという場所なんだそうです。

日本初の映画女優
川田芳子さんが眠る寺として
映画関係者も訪れるとの事です。
うーむ、すごい!

※新潟明和騒動の第二次打ち壊し時に鐘が乱打された。
※お胎籠りの太子
.

鬼瓦(獅子口)も立派だし、懸魚もすてき。

留蓋(とめぶた)↑の上の牡丹がカッコいいっ!

木鼻の彫り物も立派っすねぇ。

屋根の傾斜が印象的です。

白木が目に染みるー

軒丸瓦、軒平瓦には「超願寺」の文字が!

本堂屋根の上 留蓋(とめぶた)の上の牡丹がカッコいいっ↑!

お寺の概要

<新潟県寺院名鑑(新潟県仏教会)>より。
.
宗派 開祖
真宗大谷派 法印栄智 年代不詳
御本尊 寺宝
阿弥陀如来 お胎籠りの太子
由緒沿革
 加賀国(石川県)石川郡富澤村に開基。もとは薬師寺と称し真言宗であったが、
数世ののち大僧郡法印栄智が本願寺蓮如上人の直弟となり、開宗。

 それより
超願寺と改め、栄智を第一世とする。(「新潟市史」)その後佐渡へ渡り、さらに新潟市五十嵐へ、三転して元和五年(1619)当地へ移った。(渡辺赳夫「新潟市寺院案内」)三世賢恵の時代である。

 「富澤超願寺系譜」によれば、元文四年(1739)と明和六年(1769)に火災類焼。文化六年(1809)九月再建。明和の猛火で蓮如上人から開基へ賜った聖徳太子像(伝親鸞聖人作)も罹災したが、幸いにも、お首のみ残ったため、それを胎内に収めた「
お胎籠りの太子」像を造立し奉安している。
             

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