新潟下町日和 (しもまちびより) 2002「何かと楽しい三
間」


  新潟下町神社めぐり!
〜神社紹介〜
.

<5> 日和山住吉神社
「にいがたふる里さんぽ話」 蒲原 宏著 新潟雪書房 平成五年発行より

「日和山と方角石」

 新潟島には日和山と新日和山の二つがあった。

新日和山は海からの浸食で砂丘が決潰し、
昭和二十年頃水没してしまった。

東堀通十三番町にある日和山は、
江戸時代から港に入る船の水先案内と
天気予報である日和見をした場所である。

頂上には海上安全の神様住吉神社がある。

これは水先案内人の伊藤仁太郎が自宅に祀っていたものを、
慶応元年(1865)にここへ遷座したのである。

それ以前は、船の出入りと天候を観測する日和見櫓と
方角石があっただけで、
俗に水戸教と呼ばれていた。

天保二年(1831)に江戸の画家長谷川雪旦が
越後を旅行して書いた『北国一覧写』の中に
この日和山と方角石は画かれている。

 しかし、この方角石は現在は所在不明である。

明治十三年(1880)八月の大火で山頂の住吉神社も
日和見櫓も焼け、新日和山に櫓と方角石も移されたが
古い方の方角石は
砂丘の崩れた時海に沈んだとも言われており、
行方はさだかではない。

現在の日和山にある方角石は、
明治二十四年(1891)八月に
新潟市礎町四之町笹谷福造、中蒲原郡元蒲原村の
坂井新吉が奉納したもので、
新潟市の石工田中勝五郎が製作したと彫られている。
百六十年前に長谷川雪旦の画いたものではない。

これは直径六十一センチ、高さ二十九センチの安山岩で、
石に彫刻があり、真北に向けて置かれてある。
最近、頂上の住吉神社の御神体は
四ツ屋町三の開運稲荷の境内に移されてしまった。

日和山も方角石も海上交通と気象観測に関する
東洋科学の重要な文化的遺産であるから、
大切に後世に伝えたいものである。


住吉の 神も方角 石も秋   ひろし


.
蒲原 宏 (日本医史学会理事長)
..


日和山山頂の住吉神社



明治24年(1891)奉納の方角石

にいがたなじらねっと
下町案内板

旧日和山 住 吉 神 社
.


日和山

.

新潟下町神社めぐり
問題=ィ
空欄を埋めてね
.
日和山は新潟みなと水先案内人
○○○発祥の地です
新潟下町神社めぐり地図
<1> 金刀比羅神社(附船町) <5> 日和山住吉神社    
<2> 湊稲荷神社      <6> 豊照稲荷神社     
<3> 金刀比羅神社(寄合町) <7> 金刀比羅神社(西厩島町)
<4> 開運稲荷神社     .
新潟下町日和Home(ホーム)



.
「新潟下町日和2002」
〜何かと楽しい三
間〜

Copyright ン t-nouchi 2002

本ページ内容の無断転載等は
かんべしてね〜
    よろぴく :−)
.